助産師歴10年、産科病棟で働いています。
また行政の両親学級も担当させていただいています。
1人目6歳、2人目2歳、3人目妊娠中です。
なぜ助産師に
幼少のときから自分は看護師になるものと思っていました。理由は、母が看護師で病院の託児所に0〜6歳まで通い、窓から外を見ると白衣を着た人や救急車が通るのを見ていて、自然に大人になると病院で働くという感じがしていたからです。また、病院の忘年会で楽しそうにしている大人たちや、家族ぐるみで遊びに行く大人たちが皆楽しそうだったからという理由でした。
もう一つの夢もありました。
小学生のときに、「世界がもし100人の村だったら」という本を買いました。その本を選んだ理由は、本を読むのが苦手だったため、文字が少なくて絵が可愛いかったからです。現在もまだ販売されていることが驚きで嬉しかったです💕私の将来への道はこの本が決めてくれたと言っても過言ではありません✨️
この本を読んで、自分の普段の生活はとても恵まれていていたということに衝撃を受けました。なぜなら家は古かったし、両親も共働きで寂しい思いもしたし、自分が恵まれているとは感じたことがなかったからです。むしろ、自分は貧乏な方だと思ってました。

しかし、自分の生活は恵まれていて、食べられない子、家がない子、親がいない子、きれいな水が飲めない子、5歳まで生きられない子、そんな子どもが世界にはたくさんいることが信じられませんでした。
こんな私でも勉強して、病気にならないうような知識を身につければ、子どもの命や貧困の母親の助けになれるかもしれないと思いました。なので、国際協力という仕事もしてみたいなと思いました。
助産師という職業を知ったのは高校3年生のときです。
進路を決める時に、大学のパンフレットを見ていて、看護師の他に助産師という仕事があることを知りました。
助産師は子どもと母親のプロフェッショナル。専門性を身につければ、国際協力の現場で力になれると感じました。
なので、助産師という職業につくために高校は進学校を受け、大学も国際看護学を学べる学校を選び、就職先も分娩件数が多く、NICUも併設されリスクのある分娩を学び経験を最短で積めるような病院を選ました。
就職してからも青年海外協力隊になりたい!と思い続け、社会人4年目の秋に青年海外協力隊を受け合格。2年間カンボジアへの派遣が決まっていましたが、結婚も同時に考えており、どちらを選ぶか真剣に悩んだ結果、結婚を選びました。
理由は、仕事は自分の努力次第でいつでも変えられる。
結婚は運命やタイミングもあるので、自分の力では変えられないかもしれないと思ったからです。
結局青年海外協力隊の夢は叶いませんでしたが、自分のかわいい子ども達をみていると、この選択も間違っていなかったんだと思います。
なぜブログを
妊婦さんや産婦さんと関わる中で、「1人で悩んでいた」「誰に相談していいかわからなかった」ということを聞くたびに、助産師としてもっと力になれるのに、十分寄り添えていないもどかしさを感じています。また、忙しい業務の中では、ゆっくり話を聞きたくても時間が取れない時もあります。
自分の妊娠・出産を経験し、もっと妊婦さん産婦さんの力になりたい!不安を少しでも軽くできるお手伝いができれば!と思い、ブログに書いていくことにしました。
つたない文章があるかもしれませんが。。。
ブログを通しても、助産師としてのお役に立てたらと思います…
記事を読んでいただきありがとうございました🙇♀️
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