助産師になった理由

ぽこについて

なぜ助産師に

幼少のときから自分は看護師になるものと思っていた。理由は、母が看護師で病院の託児所に0〜6歳まで通い、窓から外を見ると白衣を着た人や救急車が通るのを見ていて、自然に大人になると病院で働くという感じがしていた。また、病院の忘年会で楽しそうにしている大人たちや、家族ぐるみで遊びに行く大人たちが皆楽しそうだったからという理由。

もう一つの夢もあった。

小学生のときに、「もし世界が100人の村だったら」という本を買った。その本を選んだ理由は、本を読むのが苦手だったため、文字が少なくて絵が可愛いこの本を選んだ。この本を読んで、自分の普段の生活はとても恵まれていていたということに衝撃を受けた。家は古かったし、両親も共働きで寂しい思いもしたし、自分が恵まれているとは感じたことがなかった。むしろ、自分は貧乏だと思っていた。

しかし、自分の生活は恵まれていて、食べられない子、家がない子、親がいない子、きれいな水が飲めない子、5歳まで生きられない子、そんな子どもが世界にはたくさんいることが信じられなかった。

こんな私でも勉強して、病気にならないうような知識を身につければ、子どもの命や貧困の母親の助けになれるかもしれないと思った。なので、国際協力という仕事もしてみたいなと思った。

助産師という職業を知ったのは高校3年生のとき。

進路を決める時に、大学のパンフレットを見ていて、看護師の他に助産師という仕事があることを知った。

助産師は子どもと母親のプロフェッショナル。専門性を身につければ、国際協力の現場で母子医療に携えるということを知った。

なので、助産師という職業につくために高校は進学校を受け、大学も国際看護学を学べる学校を選び、就職先も分娩件数が多く、NICUも併設されリスクのある分娩を学び経験を最短で積めるような病院を選んだ。

就職してからも青年海外協力隊になりたい!と思い続け、社会人4年目の秋に青年海外協力隊を受け合格。2年間カンボジアへの派遣が決まった。

社会人4年目の3月に退職、7月派遣前訓練、9月派遣というスケジュールだった。

退職する年の1月に夫と出会う。結婚を前提に交際していた。結婚と仕事をどちらを選ぶか真剣に悩んだ。悩み続けた結果、結婚を選んだ。

理由は、仕事は自分の努力次第でいつでも変えられる。

結婚は運命やタイミングもあるので、自分の力では変えられないかもしれないと思ったから。

悩んでいたときに感じていたのは、どちらを選んでも正解!ということだった。

どちらも叶えたい夢!でもどちらかしか選べないのだとしたら、結婚がダメだったらまた、青年海外協力隊を受ければいいと思った。

結局青年海外協力隊の夢は叶わなかったが、自分のかわいい子ども達をみていると、この選択も間違っていなかったんだと思う。

子育てをしていると、独身の時みたいにバリバリ働けるわけではなく夜勤ができなかったり、遅くまで残ったりできず申し訳ない気持ちもあるけれど、ママになってから働くと、より陣痛の苦しみも共感できるし、育児の大変さも共感できるので、ママとして助産師を続ける道もありだったと思っている。

そんなぽこの記事も読んでいただきありがとうございます。

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